くぼたやブログ@はてな

旧くぼたや日記(はてなD終了のため移転)+盛岡思考遊戯倶楽部のブログ

「掛合(かけや)トランプ」ワールドカップ大会

2月3日に「道の駅・掛合の里」で開催されるようです。
(2008.2.20追記大会の様子のニュース動画です。(うんなん情報局より

2009年度の大会の様子(2010.1.19追記)

掛合トランプ」(雲南研究室より)というのはどんなトランプゲームなのかな、
一般に「絵取り」とよばれるものとはどこら辺が違うのかな。#こちらの「絵取り」はそのものズバリの「掛合トランプ」^^。

・掛合トランプの歴史より
現在、掛合町内の開業医である清水文郎先生(清水家11代目)の、先祖で5代目清水葦庵(しみずいあん)先生(西暦1723〜1774)は享保27年頃、今から約260年前長崎において、オランダ医学を学ぶため留学したことがあり、その時にトランプを持ち帰ったのが、掛合にトランプが入った最初であるといわれています。

歴史もかなり古く、享保27年といえば西暦にすると1742年かな。現在のトランプが日本に入ってきたのは明治時代初期と言われているので、当時持ち帰ったトランプというのは現在のトランプ相当のものはまだ無い時代であると思うので「カルタ(地方札・4スーツ系)」であっただろうと思われます。
(2008.2.5修正・追記)コメントにて「オランダかるた」というカルタ(トランプ)の存在を教えていただきました。
当時、掛合に持ち帰ったトランプというのはこの「オランダかるた」であったかもしれませんね。



掛合トランプの得点のつけ方は16枚の絵札を取り合うわけですが、各チーム5点(碁石5個)持ちで

結果 得点
16−0 4個勝ち
15−1

12−4
2個勝ち
11−5

9−7
1個勝ち
8−8

※8-8で同数の場合は れんしょ(スペードのA)を持って(取って)いるチームの1個負け
さらにキリ(切り札)のAを持って(取って)いると2個負け
そしてさらに全てのA(4枚)を持って(取って)いると4個負け
となるようである。

(2008.2.4修正・追記)
※8−8で同数でなくても「れんしょ」+「キリのA」を持って(取って)負けた(引き分けた)場合は2個負けとなる。
そしてさらに全てのA(4枚)を持って(取って)負けた(引き分けた)場合は4個負けとなる。


れんしょ(スペードのA)は最強の札でいつ出しても(リードのスートを持っていても)いいようであるが
(おそらく)スペードがリードされた場合には出さなくてはいけないのであろう(明記はされていませんが)。

でマストフォローのルールが適用されるとのことです。(2008.2.4修正・追記)
ルールのページには

■れんしょ 「れんしょ」はいつでも出すことが出来ます。

とありますが

■れんしょ 「れんしょ」は(マストフォローの原則に従えば)いつでも出すことが出来ます。

と解釈するのが正しいようです。


ホイストというゲームに似ていますが、ホイストのほうには「れんしょ」に相当するルールはないんですよね。逆に「れんしょ」のルールがあるのはスペイン、ポルトガル系の「オンブル(トレシヨ)」というゲーム(#ホイストより古いゲーム)で「南蛮カルタ」の伝来とともに日本に伝わってきたゲームではないかとも考えられています。(オンブルは反時計回り、ホイストは時計回り、掛合トランプは反時計回り、うんすんかるたは時計回り、絵取りは反時計回り。)
謎^^の「あわせカルタ」の技法がトリックテイキングの技法と一致するのではないかという説があるとおり、この享保27年(西暦1742年)というのはこの花札の歴史の表でみると、ちょうど「あわせカルタ」から「めくりカルタ」へと移行する時期でもあり、「掛合トランプ」の元ゲームは「れんしょ」入りの「ホイスト」をトリックを取る形式ではなく「絵札」を取る形式で行ったゲームが既に確立していたのではないでしょうか。
プレイの時計回り、反時計回りを考慮すると、「掛合トランプ(絵取り)」は「うんすんかるた」より古いゲームで、「南蛮カルタ」と「それでプレイできるゲーム(オンブルやホイスト)」が続々と日本に入ってくるなかで日本的に融合、改良され、天正カルタ系のデッキでプレイされていたゲームなのではないでしょうか。(ルールを読むと天正カルタ系の4スートの札でもプレイできそうなゲームなので、おそらく当時のカードの総枚数は4スート12ランクの48枚だったのではないでしょうか。#うんすんかるたのように数札が1から9までで元々52枚という可能性もありますが‥。)
「掛合トランプ」のルールが初期より変化していないものだとすると、明治時代に全国的に紹介された「絵取り」というゲームは江戸享保の時代よりあったゲームということになります。

・掛合トランプの歴史より
その後、トランプ競技は掛合近辺の上流社会で遊ばれていた様ですが、9代目の道達(どうたつ)先生(西暦1848〜1915)は、このトランプ競技を幕末から明治にかけ大正4年に没するまで、掛合トランプとして村のすみずみまで普及させ、これが盛んになり楽しまれるようになりました。

そしてこのころ、この、道達(どうたつ)先生がちょうどそのころ日本に入ってきたトランプで、このカルタでプレイされていたゲームがそのままプレイできることに気がついてトランプを用いて掛合村に普及していったのではないでしょうか。


このあたりの地方には地方札はもう残っていないのかなー。(近いところでは金極札というのが鳥取県にあるらしい)


「れんしょ」というのは「蓮薯」かなー。スペードのAのマークが蓮(はす)か薯(さつまいも)の葉っぱのイメージで。これだとこの名前がついたのはトランプ化してからだな。#岐阜にはスペードを「芋葉」と呼ぶ人がいるらしい。


*よくわからないポイント
○260年前に伝えられた「掛合トランプ」のルールが明治時代に紹介された「絵取り」というゲームとほぼ同じゲームであるということをどう考えるか。
・「絵取り」は「掛合トランプ」を広く全国に紹介したものなのか?
・実は「掛合トランプ」は「絵取り」そのものを掛合村に広めたものなのか?
・260年前に伝えられた「掛合トランプ」のルールの変化を「絵取り」のルールと共通な部分はそのまま残ったもの、異なる部分は別に変化したものと考えるか。
○プレイの回り方向から考えると
・「掛合トランプ」と「うんすんかるた」の元になったゲームを比べると「掛合トランプ」の元になったゲームのほうが「うんすんかるた」の元になったゲームより古いということがいえるのかな‥。
○「掛合トランプ」「絵取り」は“パートナーシップ”のゲームであるが、「(完成された)ホイスト」そのものの改良であるとは考えにくい。なぜならプレイの回り順が逆だからである。ただこれだと“パートナーシップ”の概念がどこから来たのかが説明つかないなー。“パートナーシップ”のプレイは日本では根付きにくいものらしく、「絵取り」のほうはすぐに“パートナーシップ”というのは崩れてきているみたいだし、「掛合トランプ」が“パートナーシップ”のゲームを守り続けているのが奇跡的なことなのか‥。
「ホイスト」そのものが絵札の枚数で勝負するように変化していったときに回り順も日本的に変化していったと考えるのが自然なのだろうか‥。
または「原ホイスト」(“パートナーシップ”という点で)というべきルールが明治時代の現在のトランプの伝来前(というか260年前の時点で)に日本に来ているということなのか?


キーワード
○パートナーシップ(4人ゲーム)の概念はどこから来たか?
・オンブルは3人ゲーム
○ホイスト→絵取りへの変化
・ゲームの目的がトリック数から絵札の枚数に
スペードのAが最強ルール
○プレイの回り順
・反時計回り‥掛合トランプ、絵取り、オンブル
・時計回り‥うんすんかるた、ホイスト、(ゴニンカン
○あわせかるた
・トリックテイキングの技法
・めくりカルタの昔の呼び方


もしかしたら、「ホイスト→絵取り」進化説を覆す大発見かもしれないな。
絵取りは元から江戸時代よりあり、そのためあっさり明治時代にトランプで「ホイスト→絵取り」と変化したとか。



まぁ、実際には思い切り誤読していて
260年前に長崎からトランプ(地方札)は持ち帰ったが、(その時の技法(ルール・遊び方)は今の「掛合トランプ」のものではなく)、明治時代に掛合近辺の上流社会で遊ばれていた「トランプ競技(絵取り)」を「掛合トランプ」として村に普及したと考えるのが自然かなー。
いずれにせよ、「絵取り」が残っているというのはすごいことだ。